2017年10月15日

[ 「雪国」のヒロイン

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」
川端康成『雪国』より

誰もが知っているこの有名な書き出しで始まる『雪国』の舞台を訪ねてきました。

この作品は川端康成が昭和9年から12年にかけて越後湯沢の小高い丘に建つ高半という宿に滞在し執筆したそうです。館内にはその当時の様子がしのばれる「かすみの間」や、作家ゆかりの品々を集めた展示室があり、『雪国』の世界に思いをはせることが出来ました。


特に印象に残ったのが、新潟を訪ねた西洋舞踊研究家の島村と心を通わせるヒロイン駒子についての資料です。
凛とした雰囲気を漂わせた美しい女性、その方が川端康成の滞在していた当時、湯沢で温泉芸者をしていた小高キクさん。駒子のモデルになった方で「松栄(まつえ)」という名でお座敷に出ていたそうです。

キクさんは大正4年、新潟県生まれ。昭和3年に芸者となり、昭和9年の夏に湯沢で川端と出会いました。

昭和15年に芸者をやめ、その2年後に結婚なさったそうです。

川端とのことをあまり語ることは無かったそうですが、夫の久雄氏は「私には全部話してくれました。小説とはいえ、あれは殆ど実際の話」と話していたそうです。


小説を読んだ時、しっかり者で少し気性が激しい女性という印象を受けましたが、今回の旅で資料を読み、宿の方のお話を伺っているうちに、芯の強い情熱的な方だったのでは?とイメージが変化しました。

作品発表後、自分が小説のモデルになっていると周りから聞かされた時、相当癪に障ったようで、川端は詫び状と第一回の生原稿を送りましたが、それらは芸者をやめる時に、付けていた日記と共に全部焼き捨ててしまったとか。

潔癖なお人柄が感じられるエピソードですね。

少し気性が激しいように感じたのは、駒子の話し方によるものが大きいのかと思っていましたが、その謎は宿の先代の弟さん 高橋有恒さんが書かれた 「雪国」のモデル考 で解けました。

松栄が話していた越後弁について
「言葉の中に「はい」「いいえ」にかわる応答がなく、直接云わんとする所が出てしまうのである。この直接的な会話は、小説の中では無駄がなく美しいが、映画や舞台に役者たちが演じるときは、実に激しい語勢となり、駒子がきつい印象になってくるのである。」

それに、駒子は島村を「あんた」と呼んでいますが、実際に声に出してみると、とても強い音できつく聞こえます。この言い方も当時は当たり前に話されていたのかもしれませんが、現在はあまり使われていないように感じます。

高橋さんによれば、「雪国」の全篇を通じて、島村と駒子との会話は、松栄とのイキイキとした会話をそのままとり入れていたようです。


新しい生活を始める時には、それまでのことを全て清算し臨んでいたキクさんは、川端康成について多くを語らず、川端との対談の企画など全て断っていたそうです。
が、川端が亡くなる直前、この時だけは承知したそうです。結局実現しませんでしたが、もし、二人が会っていたらどんな話をしたのでしょうか?聞いてみたいような、二人だけの秘密にしておいてもらいたいような、そんな気分で越後湯沢を後にしました。

物語の世界のヒロインが、今回の旅で急にリアリティを持って感じられるようになりました。
またあらためて読み返したら、きっと何か新しい印象や発見に出合えるような気がします。










posted by ヒロリン at 16:39| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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