2018年12月15日

沈黙

「自分だったらどうしただろうか?」というのがこの作品を読んで最初に感じたことでした。

遠藤周作の『沈黙』
彼の代表作であり、73歳で他界された時には棺の中に『深い河』と共に収められたそうです。



『沈黙』の舞台は江戸時代。キリスト教禁止令が出されていた長崎です。

「ある優秀な神父フェレイラが長崎で拷問を受けキリスト教を棄てた」という報告がローマ教会に入ります。

主人公のポルトガル司教ロドリゴはフェレイラを尊敬する弟子で、報告が信じられずその事実を確認するために危険をおかしてマカオから日本に潜入しますが、臆病者の信徒に裏切られ、長崎奉行所に囚われの身となってしまいます。

ロドリゴは神に救いを求めますが、神はただ沈黙を続けるだけ・・・。

そして彼は司祭でありながら、神の存在そのものに疑念を持つようになり、
ついに踏み絵に足をかけてしまう・・・という物語です。



作品の中には踏み絵を拒み、殉教の道を選ぶ農民。
心に痛みを覚えながら踏み絵に足をかけ、表面上は仏教徒として、でも心の中ではキリスト教を棄てることなく密かに信仰を持ち続ける信徒。

捕らわれて命を落とす司教や、信徒たちの命を救う為に自分の信仰を犠牲にする司教など、様々な人が登場します。


(今年は大浦天主堂を筆頭とする「長崎・天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」がユネスコの世界文化遺産に登録されました。
かつては「隠れキリシタン」ということが多かったようですが、最近では禁教時代を「潜伏キリシタン」、禁教解除後もカトリックに戻らずかつての信仰形態を守っている人々を「カクレキリシタン」と呼んで区別しているそうです。)



自由であることが当たり前の現代日本に生きる私たちからすると、想像することが出来ないほどの苦難。殉教しても、棄教しても、棄教したと見せかけて生きるのも苦しすぎる道。

長崎を訪れ、潜伏キリシタンや『沈黙』に関わる所を訪れた時には、自分でも驚くほど心が揺れ動きました。
踏み絵を前にした人たちは、特にマリア様の踏み絵にためらいを見せていたとか。ただ心ならずも踏み絵に足をかけ、必死の思いで信仰を守り続けた人々がいたからこそ「信徒発見」の奇跡や今に続くカクレキリシタンへと繋がっていくことを思うと、当時の一人ひとりの選択はそれぞれに意義があったと思わずにはいられません。

ちなみに、カクレキリシタンは、昭和初期から戦後におよそ3万人いましたが、若者の流出などで組織の解散が相次ぎ、現在は数か所しか残っていない、ということです。「大浦天主堂物語」より



長崎県外海町にある遠藤周作文学館は、ロドリゴがひと目を避けて日本上陸をはかった村が見下ろせる小さな岬の突端に建つ夕陽の名所。ある小春日和のお昼頃に訪ねましたが、角力灘に面したテラスからの眺望はまさに絶景で、青い海の穏やかな景色のあまりの美しさに、ずっと眺めていたいそんな気持ちになりました。その静かな海の美しさがまた悲しみを誘うのですが・・・。


おしまいにグレゴリオ聖歌が流れる文学館の中で出合った遠藤周作さんの「愛」のメッセージをご紹介します。

私は愛とは「棄てないこと」だと思っています。
愛する対象が━人間であれ、ものであれ━
どんなにみにくく、気にいらなくなっても、
これを棄てないこと。
それが愛のはじまりなのです。  『愛と人生をめぐる断想』より












posted by ヒロリン at 11:38| Comment(1) | 番組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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