2018年03月29日

取り返しのつかない旅

「旅には取り返しのつかない旅がある」
この言葉を聞いた時、どんなとんでもない失敗が関わった旅のことを指すのだろうと思いました。「取り返しのつかない」は失ったものを取り戻すことが不可能で、どうにもならない状態に陥っている、そんなマイナスな想像をさせる言葉です。

ところが、全く違った意味合いをもつ表現だったのです。

「取り返しのつかない旅」は作家の沢木耕太郎さんが講演会の中で話された言葉です。
沢木さんによれば、これはある文化人類学者の言葉で、自分を根本から変えられる深い爪あとを残すような旅。
「取り返しのつかない」を肯定的に捉えて、自分にとって二度と起きないような旅、そんな大きな意味を持つ旅のことを指すのだそうです。



これまでの旅を振り返ってみると、若い頃にした旅のほうが記憶や印象が鮮明です。それは初めて見る景色、初めて食べる食材や料理、初めての土地の香りや空気感などなど、初体験が大きく影響しているのでしょう。

沢木さんは、未経験は負の財産だが、旅をする人にとっては大きな財産。経験していないから様々なことに驚いたり感動できたりすると話していました。

となると、旅の経験を積み重ねていけばいくほど新鮮味が失われて、取り返しのつかない大きな旅はもう二度と経験出来ないように思ってしまいます。



でも沢木さんにとって岩手県北上市にある詩歌文学館でのひと時は、その経験や記憶が時間をきらめかせてくれるようなものだったそうです。

若い頃に出会いお世話になった企業経営者の方、詩歌文学館でかつて名誉館長を務めていた作家の井上靖さん、井上さんのお宅に伺った際におっしゃった奥様の言葉、訪れた日に降った北上の初雪、そしてその庭に舞う美しい雪の中飛来したアオサギの姿・・・。

これまでの様々な経験や記憶の幾つかがその場で偶然に重なり合い生み出されたような、そんなきらめくような時間だったそうです。



経験値が高くなると自分を根底からゆるがすような大きな旅は出来ないかもしれないけれど、自分が大切にした記憶や経験を、ある時間、空間で繰り出すことで意味のあるものに出来る。それは小さな旅ではありますが、経験や記憶が大きな財産となって自分の時間をきらめかせてくれる、そんな北上での旅について伺うことが出来ました。


これは経験があればこその旅であり、自分だけしか感じることの出来ない旅。
そんな心を輝かせてくれるような旅や経験が出来たらと思いました。
その為には、日々の小さなことを大切に、そしてその瞬間がやって来た時に気付けるような感性を持ち続けられる自分でいなければ、と思った印象深いお話でした。








posted by ヒロリン at 09:57| Comment(5) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月19日

カルトナージュ

子どものころからなぜか箱に惹かれるところがあり、美しい模様や可愛らしい絵柄の物はもちろん、中に入れるものが無くてもそばに置いておきたくなるのが不思議でした。


そんな気持ちは、私だけでは無かった!と気付かせてくれたのが文豪 幸田露伴を父に持つ幸田文さんの「箱」という随筆。

  『男の人はてんで箱なんかのことで気を動かされることはないようだが、
  女はどういうものか箱というと、え?とふりかえる傾きがある。(中略)

  女は小さな子供でも箱に反応を示す。チョコレートやビスケットの箱は、
  きれいな彩色や絵がついているが、それをほしがるのである。そして
  予約する智慧をもっているから驚く。「それ、からっぽになったら、
  あたしに頂戴ね」と言う。外側の箱もほしいが、箱におとらず中身も
  ちゃんと尊重しているから、中身の存在しているうちは、最高権威を持つ
  母に保管をゆだねておくのが至当だと了解しているのだろう。』
  (新潮文庫 『雀の手帖』より)



初めて読んだ時には、自分の事が書かれているような気になるほどでしたが、幸田さんによれば、女性は概ね年齢に関係なくきれいな箱に心惹かれるようです。
自分の部屋を見まわしてみてもきれいなお菓子の箱や缶だけでなく、空き箱に好みの和紙を貼って作った物もあれば(未だ中身は入っていません)、わざわざ一目ぼれで購入した緑の花柄の和紙が貼られた文箱もあり、実用的なものからそうでないものまで様々。


箱を愛しているのは日本女性だけかと言えば、そうでもないようで、フランスの女性達も美しい箱を楽しんで生活に取り入れてきたようです。


先日 Atelier Baby−BreathのRico先生のカルトナージュ教室に参加しました。カルトナージュは、フランスの伝統工芸。18世紀頃、南仏で蚕を入れ輸送するための箱として考えだされたのが最初と言われているそうです。
現在は、カルトンというフランス製の厚紙(普通のボール紙と違って湿気に強い)をカットしたパーツにフランスの布などを貼り、組み立て、小物入れなど様々なものを作っています。


私は初心者向けの小物入れを作りましたが、部屋には落ち着いたピンクの薔薇の生地を貼ったティッシュボックスがあり、それを見るたびに優雅な気分になります。

毎日見るもの、触れるものから心も影響を受けているはずですから、やはり身の回りに自分好みの美しい小物を置いて使うことは、日々穏やかな気持ちで過ごすコツの一つかもしれません。

そんなところから、女の子から大人の女性達まで、洋の東西を問わず箱に惹かれてしまうのかもしれません・・・。

眺めて楽しむのも良いですが、ぴったり合うものを納めて箱を使いこなせるようになったら、もっと心豊かに過ごせそうな気がします。










posted by ヒロリン at 22:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月20日

ドリアン 食の先入観

盛岡の開運橋近くの喫茶店で、珈琲にレモンを入れたものを飲みました。

レモンと言えばレモンティー、紅茶に合わせるのが日本では定番ですが、珈琲との相性はどうなのか?
不安はありつつも好奇心が打ち勝ち、オーダーしてみました。


輪切りのレモンを珈琲の中に入れ飲んでみたところ、レモンの香気が爽やかさを醸し出し、苦みも抑えられて、美味しかったです。
珈琲にレモンは合うはずがない、そんな気持ちでいましたが、見事に先入観を打ち破られてしまいました。「食」にも経験や知識からくる先入観が多いに影響するものですね。
試してみなければわからない。それも一度ではダメ!
最近、そんな経験をしました。




以前タイへ旅行した時、フルーツの王様と言われているドリアンを試してみました。
市場で購入し、ホテルへ戻るまでの間、すれ違う人に気づかれるほどの強い匂い。
部屋で恐る恐る口に運んでみたものの、即座にニオイでノックアウトされてしまいました。
味は甘味がしっかりしていてまずくは無かったのですが、ドリアン独特の匂いがあまりにも強烈で、二口目を食することが出来ませんでした。
その後しばらく口の中に臭いが残っていて、もう二度と食べない!と思ったほどの経験でした。
(匂いが強い為、ホテル内へのドリアン持ち込み禁止、というところもあるようですが、その時宿泊したホテルはOKでした。)



それが、最近人に勧められてドリアン独特の匂いが無いMonthongという品種で作られたドリアンチップスを食べてみたところ、全く過去に嗅いだ臭いは無く、まるでバナナチップスのような食感に濃厚でクリーミーなコクがあり、甘くて非常に美味しいお菓子でした。
臭いが無いだけで、こんなにも美味しく感じられものかと正直驚いたのですが、それ以来すっかりドリアンが気になる存在に。もし機会があれば生のドリアンに再チャレンジしてみたい、と思っていましたら、そのチャンスが!


Durian Glutinous Dumplingsという名で、
ドリアンの餡が入ったお餅にココナッツがまぶしてある香港のお菓子。
テーブルに運ばれてきた途端、昔嗅いだドリアン臭が漂ってきたので、少し不安が蘇ってきたものの、食べてみるとココナッツが良い具合にドリアンの匂いを緩和していて、残さず頂くことが出来ました。

これは嬉しい体験でした。
そんなに苦手な臭いなら何も無理して食べなくても・・・と思われる方もいらっしゃるでしょうが、普段私たちが食べないものでも、世の中に美味しいと言っている人々がいるなら、きっと美味しいはず。それがわかれば、自分の中の食の世界が広がって、もっともっと様々な料理や食材の魅力に気づけるようになるのでは?と思うのです。


今回のドリアンは、ココナッツフレーバーに助けられて食べられたようなもの。ドリアンが大好きな方にとっては、あの匂いも魅力の一つだと思うので、Monthong種から始めて、段々あの匂いも味わいながら悪魔のフルーツという異名を持つ生のドリアンそのものを味わってみたい、と思っています。


食も感性の一つ。食いしん坊の私は、ますますこちらの感覚も磨きたいと思ったのでした。














posted by ヒロリン at 13:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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